みくにのお墓
FMぎのわん
毎週火曜 10時~11時00分

 

(糸数)
今日もみなさんと一緒にお墓のことを考えていきたいと思います。本日はゲストを迎えております。

(川上)
初めまして、みくにスタッフの川上と申します。本日は社長と一緒にお墓のことを考えていきたいと思います。

 

沖縄のお墓と内地のお墓は何がどう違うのか?

(糸数)
沖縄のお墓と本土のお墓の違いということなんですけども、どう思いますか?

(川上)
一番はやっぱり大きさかなと思いますね。

東京に行ってみたときにところ狭しと将棋の駒のようにお墓が並んでたイメージがありますね。

(糸数)
一番はそこですよね。

日本では遥か昔から風葬や土葬で地域によって葬儀の方法が様々あったんですね。

私個人的にお墓ディレクターという専門の立場から話すと、沖縄の場合は昔は風葬だったんですね。

風葬とは人目につかない洞窟や山の隅に穴を開けて安置し、蓋をして白骨化するのを待ちます。

白骨化したご遺体は洗骨と言われる骨を洗い清める儀式を終えた後に小壺に入れるということですけども。

そういうイメージってどうですか?

(川上)
この仕事に就くまでは全くわからなかったですね。

(まなみん)
最近、洗骨の映画があってそれで初めて具体的に知りましたね。

(糸数)
あの映画っていうのは本当に名画じゃないかなと思うんですね。

いま現在では沖縄も本土と同じように火葬したのちに骨壷に収めて納骨します。

沖縄独自のお墓、破風墓や亀甲墓の中央には骨壷を埋めるスペースがありそこに納骨します。

大きなお墓だと多くの先祖が眠っていることもありお墓のスペースが大きく取られています。

沖縄のお墓と本土のお墓の決定的な違いは、シーミーの時に親族が揃って食事をするスペースが設けられているということですね。

シーミー準備の仕方などには地域によって違いがたくさんありますが、そのお墓のおばあちゃんや長男が取り仕切ってる場合が多いです。

本土の墓の場合は中央に墓石が積まれていて、墓石には「〇〇家の墓」と彫られていることが多いです。

お骨を収めるスペースも小さくて沖縄でいう一族のお墓というよりも「家族のお墓」として作られてますね。

お墓参りの方法も違うんですけど、ご馳走を広げる場所は本土のお墓にはなくて、故人の好きだったものをお供えして手を合わせる。

宗派によって違いはありますけども、霊園墓地の場合はお寺によって「こういうお供え物はダメですよ」というルールやマナーがありますね。

納骨の場合は沖縄と違って石材店への依頼を初めてお寺への法要のお願いやお供えの準備が必要です。

準備が必要な分、大変ではありますがお寺のお坊さんの指示や宗派によっての手順で行いますということですね。

沖縄はお寺っていう習慣がないのでお寺の境内の中に作るのではなくて、地域の墓地地帯に作るっていうのが沖縄の現状ですね。

 

時代に沿ったお墓の形の変化とは

(糸数)
「沖縄のお墓で破風墓や亀甲墓がどのようにして生まれたのでしょうか」ということなんですけども、川上さんはみくにに来る前はお墓のデザインについて考えたことがありますか?

(川上)
ないですね。あの大きな亀甲墓が全てだと思ってました。

(糸数)
かつて風葬が主流でした。火葬が色んな事情でできなかったので。

故人の遺体を自然に風化させることで土に帰る。それで肉とかをバクテリアに食べさせて土に変えると行った感じですね。

そして沖縄で独自のニライカナイという思想。理想郷とか魂が生まれ変わる世界にたどり着けるとされてましたね。

遺体の周りに石を積んだり屋根をつけたりして弔うようになって生まれたのがは破風墓ということなんですけどね。

破風墓は屋根も塀もあるので。

色んな説があるんですけども、琉球王国の時代に王家の人間にしか破風墓の建築の許可が下りなかったらしいんです。

雨風をしのぐ丈夫な屋根や豪華な装飾、まるで生きてる人の家のような立派な墓は一般庶民には憧れだったらしいですね。

明治の廃藩置県という制度によって琉球政府が解体されると、王族にしか許可されなかった破風墓が庶民にも広まるようになったみたいです。

一般庶民には大きなお墓は経済的にも難しかったんですけども、こじんまりとした破風墓みたいな小さな墓が流行して、その文化が現在にも行き着いたと言われています。

現在、最古の破風墓と言われてる「玉陵」は国定重要文化財にもなって、琉球王国の「グスクおよび関連遺産群」として世界遺産にも登録されています。

以前は一般庶民はお墓が作れなかったのが廃藩置県とか世の中の流れで許可が下りたという感じですね。

一番有名な亀甲墓。亀の甲羅のような形をして下り、一説では女性の子宮の形とも言われています。

この説の意味は人間は母から生まれ命を得たのちも母に帰る「母胎回帰」の思想の影響も受けていると言われてますね。中国の影響もあるそうです。

亀甲墓は破風墓よりも比較的広めの墓地が多いですね。多くの故人が眠るお墓に用いられることが多いですね。

近年では新たな建築は減少傾向にあって、現存する亀甲墓は古くからあるお墓が多いです。

いま、墓地埋葬法という法律があって10坪以上の墓が作れないんですよね。決まってるんですよ最大10坪って。

個人の墓は作れても親族の墓を作ることは宗教法人の場合は特別な許可がないと作れないんです。

現在の最古の亀甲墓は首里伊志嶺にある「伊江御殿墓」って言われてるんですね。

面積が140平米、一部が戦争によって崩れてしまって補修されってるものの保存状態が良好なので国の重要文化財に指定されたということで見る価値がすごくあるお墓です。

沖縄のお墓っていうの破風墓と亀甲墓というのがあって第二次世界大戦の戦争中にはその中に避難する人も増えました。

次第に避難してることも米兵に知られて、そういった墓を攻撃して潰れたとか弾のあとがいっぱい残っているものも何度も見かけます。一部補修して作られてるものも現状として多いですね。

重要文化財だから大切にしてるわけではなくて、一族や家族を守っていくお墓が人々の思いや絆によって形を維持して存在を続けているんじゃないでしょうか。

お墓にはその一族の歴史が刻まれてますからね。ご自身の一族のお墓を訪れて一度ノストラジックな気持ちに浸って見るのもいいんじゃないかと思いますね。

 

現代のお墓事情。継承者がいない「無縁墓」の問題も

(糸数)
現在は家族墓と言われてるスタイルが多くなって来てますね。それに伴って大きなお墓の建築が減って来てます。

その背景には核家族やお墓の継承者の不在が影響していると思います。昔みたいに子供をいっぱい産むこともなくなったので。

沖縄の制度では長男がお墓を継ぐんですが、女系の人たちはお墓を継げないとか色んなしきたりがあったりして継承者が少なくなっているっていう。

県外への移住など色んな事情で無縁墓になってるものを撤去したいというリクエストもうちには毎週のように来ます。

色んな市町村では無縁墓の所持者や関係者の特定に尽力してるそうですね。

親族と連絡取れなくてスムーズに進まないのが現状だということです。

無縁墓の問題はお墓業界や行政のみならず、一般社会にとっても深刻な問題でもあるんですよね。

例えば高速道路を作るときに道を広くするときにお墓があったらどうです?自分が作る立場だったら。

(川上)
どこかに移動できないかって考えますね。

(糸数)
ですよね。でもそれが普通のものならいいですが、中にお骨があったらなかなかできないですよね。

許可を取られていないお墓だったとしても、強制的に力づくでやるとこのご時世なので色んな問題も起こります。

お墓の文化はいいことなんだけど、受け継ぐ人がなくなったり本土に行ったりして連絡がつかないこともあります。

そうなると道路が途中までしか建設できてなかったり、予算が消化できないとか色んな問題が起こってますね。

現代は小さい小規模な破風墓や、内地用の墓の建築が増えてますね。

これは大きな墓地を用意できない人や新たな霊園墓地の登場が要因の一つとなってますね。

いま終活ブームとかにもなってて霊園とか墓地に生前に自分の墓を作られる人が増えてます。

暮石のデザインを自分でデザインをしたり好きな詩や言葉を彫刻したりと個性を大切にして建てられるお墓も増えていますね。

(川上)
故人が好きだったイラストの絵を刻んで欲しいとか、聖書の中に出てくるイラストや言葉を刻んで欲しいとか、色々ありますね。

(糸数)
このイラストを見ると故人を思い出す、しのべるという意味ではいいかもしれないですね。

 

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