The Dots
FM那覇(FM78.0MHz)
日曜14時30分〜15時00分

沖縄の植物「クワンソウ」を使った快眠サプリを手がける井上さん。公務員から自動車販売事業、サプリメントの開発販売と今に至るまでに様々な苦労や成功を繰り返してきた井上さんの53年間の人生に迫ります。

パーソナリティ:伊東純平
アシスタント:友利亘
ゲスト:てんぷす株式会社
    統括 井上とーもさん

沖縄の植物で夢を売る

井上さんの人生グラフ

 

伊東:人生グラフがすごく極端な形をしてますが、生まれた時に既にピークに達してますね。

井上:この世の中に生まれて来れる確率なんて、とてつもない奇跡だから。生まれてこれた時点でそこはもう頂点だね。

伊東:いきなり深い(笑)井上さんはどんな少年だったんですか?

井上:1966年に東京都で生まれて。小学校の時は千代田区の永田小学校に通っていたけど、ここがすごかった。

目の前が自民党本部、横が国会議事堂、遊び場は衆議院議員宿舎の前庭とか赤坂プリンスとか。かなり特殊な環境で。同級生の多くはお父さんが国会会期中にしか会えない子どもが多かった。

大人の番組だから言うけど、地方の先生が国会で来て、近くの赤坂とかの芸子さんとかとの子供を作って、その子供たちが通う学校という位置付けだったね。今はもう廃校になっちゃったけど。このエリート校で小6の時に生徒会の会長をやってた。そんな子供でした。

伊東:そこから12歳で急落してますね。どんな中学生だったんですか?

井上:荒れてはいないんだけど、ナンパの道に走ったんだよね。

友利:13歳とは目覚めるのがかなり早い(笑)

井上:小学校時代はエリートだったんだけど、そこから学力も急降下。女の子と遊んでるのが一番の幸せ、みたいな。

この頃は成績表で数字が全部出て、入学した時はトップ10だったけどそこから末端の方になった。

この学校は永田町小学校→麹町中学校→日比谷高校→東京大学って言うコースが出来上がってるような学校だったんだけど、ぼくは全然成績がダメだったから明治学院の付属高校に進学することになった。高校時代の記憶はほぼない。

ただ、自分が生まれた年が60年に一回の丙午(ひのえうま)と言う年で。この年に生まれた女の子は7人の男を食うって言う伝説があって、世間でこの年には子供は産まないでおこうって言う流れがあった。自分が生まれる前後の年はベビーブームだったけど、自分たちだけの時は出生率が著しく下がったんだよね。

そこで気付いたのが「この年代に生まれたなら受験戦争も就職活動も売り手市場になるから簡単なんじゃないか」って思うようになって。

それでどうせだったら行ったことないところに行こうと思って、沖縄国際大学に進学することにした。当時の高校の担任に、「それだけは辞めてくれ」って言われたんだけど。進学校だったのでパンフレットに卒業生の進路を書くんだけど、当時無名の「沖縄国際大学」とは書けないって。

でもその反対を押し切って沖縄に来た。

沖縄の大学に来て受けた差別

伊東:沖縄に来た時はどうでしたか?

井上:パラダイスだったね。那覇のバスターミナルも全然舗装されてないような状態で、どのバスに乗れば大学に行けるのかって言う感じで。バスの運転手に聞いても方言が強すぎて何言ってるかわからない状態だったね。大学に行くと1年目は沖縄の人たちがみんなウェルカムで「よく来てくれた!」って、チヤホヤされてた。

伊東:そこから、その後にグラフが急降下してますね。

井上:そう。1年目はかなりウェルカムだったけど、2年目に差別を受けたんだよね。「お前言ってもナイチャーだよな」って。県外から沖縄の大学に来てる生徒は大学の中に僕ともう1人いたくらい。だから大学ではめちゃくちゃ孤独で、コザの街に逃げるんだよね。

伊東:なるほど。その時のコザってどんな感じだったんですか?

井上:今はゴーストタウンみたいになっちゃってるけど、その時は毎日毎日お祭り騒ぎで。連日ディスコで踊りまくりの生活。そこから外国人とかと遊びながら。

でも、3年目になるとまた沖縄の人と打ち解けて来た。それで3年目4年目で親密になって行ったね。

そこから就職活動をするんだけど。

当時はバブルだったから面接に行くだけで交通費として2万円もらえるみたいな時代で。それで何十社って面接に行って交通費で稼いでたんだけど、そうこうしてるうちに民間企業の募集が終わってしまって(笑)

それでまだ残ってた公務員試験を受けることにしたんだよね。当時はバブルだったから公務員試験を受ける人なんてほとんどいなかったけど。それで公務員になった。

民間に採用された僕の友人たちは、最初の夏のボーナスで札束を2つくらいもらってたけど、それに比べて公務員の給料なんて大したことなくて。

ただ、行政というか組織を勉強したかったんだよね。三角形の構図が完全に出来上がっていたので、その仕組みを知りたくて。

最初に配属されたのは厚生課、そのあとは東京のPRをする広報課、35歳まで公務員を続けることになるんだよね。そこでたくさんを学ぶとともに多くのコネを手に入れさせてもらったね。

広報にいるとそこそこの人たちと繋がることができた。そうしたら今度はそのコネを使いたくなってくるんだよね。定年まで公務員をやろうと思ってたけど、そこで民間を意識し出したんだよね。

井上さんの人生グラフ

車市場で中古車をバカ売れさせた方法

井上:この時はもうバブルがはじけて、不景気そのもので民間企業がバタバタで。当時、父親が中古車屋さんと営んでいたから、そこを継がせてくれと。

それで中古車販売をやり始めた。

で、中古車販売を始めるわけだけど、車の売り方が古典的で。車を並べてこの中から選んでください見たいな感じ。

それで僕が中古車をやり始めたときに最初にやったことが、「ここに並べてる車は全部返して」と。車を並べて売ってる時点で、そこにお客さんが欲しい物がないと売ることができなくなってしまうでしょ。

だから車屋が仕入れをする自動車オークションにお客さんを連れて言って、お客さんが欲しいものがあったら競り落とす。その%を貰う。という事業に転換したんだよね。

そしたら2年間くらい車がバカ売れ。

でもその後ガソリンの乱高下が襲って来てハイブリット車が登場、中古車市場が全然売れなくなったんだよね。それで、これはもう絶対無理だと思ってそこで2年続けた自動車屋の家業を撤退した。

伊東:そこの決断は早かったんですね。

井上:早かった。もう先は無いなって思ったから。なぜならガソリンが上がって行くことしか見えていないし、東京は車社会でもないから。

伊東:2年上手く行ってたものだと、少し落ち込んだくらいだとサラッと辞めるのは難しそう。普通はもう少し粘ったりしそうなんですけど、そこで素早く方向転換できたのはどう言う考えから?

井上:テクノロジーの後には必ずエコロジーの時代が来るんだけど、もうそこに来たんだなと言う感覚があったからかな。

食糧危機に備えたサプリメントビジネス

井上:で、次に目をつけたのが食料。

というのも、今の世界人口が77億人いて、2030年には85億人、2050年には97億人、2100人には109億人になると言われてる。

でも世界の食料自給率は現段階で70億人分しか作られていない。もうすでに7億人分の食料が足りて無いんだよね。

日本の食料自給率は約40%。残り60%は輸入に頼ってる。

でも将来的に他国が食料を日本に売ってくれるかなんて定かじゃ無いよね。自国の食料が足りなくなって来たら日本に輸出してる場合じゃなくなるだろうと。

それで間違いなく世界は食糧危機に突入しようとしている、日本みたいに食料を作っていない国は食うものに困る時代が来るだろうと思った。

だから何か食料にタッチできる仕事が無いかなと思って見つけたのがサプリメントの業界。ちょうど伸びて来てると言うのもあってそこに飛び込もうと。

そこで最大限のコネを使って健康食品の業界で42歳まで7年くらい働かせてもらった。当時その会社はレスベラトロールというブドウのポリフェノールを扱ってる会社で、しばらくは泣かず飛ばすだったんだけど。

それで僕がしたのはメディアに「こういうのありますよ」って発信し続けて。そしたら萩本欽一さんがやってたテレビ番組である日、萩本さんが「100歳まで生きる秘訣はレスベラトロールにある」って言ったの。

これは明日から大変なことになるぞと思って翌日会社に行ったら、電話が鳴り止まないくらい大変なことになってた。そんな実情を見てたら自分でもこの業界で商売をやりたいなって(笑)

それで独立することになった。

伊東:民間企業で働いたその7年でどういうことを学びましたか?

井上:民間企業は公務員みたいに年功序列じゃ無いから、結果を出したやつだけが報われて行くっていうのを勉強したね。あとは野心を持ってる人が多い。

仲間集めからの起業

伊東:その後にサプリメントの会社を立ち上げると。

井上:立ち上げるんだよ、いよいよ。

伊東:まず何から始めたんですか?

井上:仲間集めだね。いかに関係会社も含めて自分と折り合いのつく仲間を集めれるかということで。「独立するから一緒にやらない」って色んなところから引き抜いて会社のメンバーを5人集めた。

ここで公務員時代に築いたコネを使うわけだけど。デパート業界の人が多かったから、なんとかデパートのサプリをうちで手配させてくれないかってお願いして。それでいっきに仕事を取ることができたんだよね。

デパートの中に入ってるサプリメントの販売店のサプリメントを企画から製造、納品までを全てするみたいな。だから僕の会社は完全に裏方だから表には出てこない。

伊東:会社を作ってからはずっと順調だったんですか?

井上:そうだね、おかげさまで。

伊東:起業すると一回くらいは大きく落ちることがあると思うんですけど、そういうことなくやってこれたのは何か気をつけてたことがあったりするんですかね?

井上:全く無いね。全く無いけど、コネクションは大事にしてたね。年齢とか性別は関係なく、いかに自分と対等に向き合える人を増やすかっていうところ。

そういう人たちにすごく救われたし、逆にそういう人たちの相談にすごく親身に相談に乗ったりしてるのは自負してるところだね。そうしてるとあまり大きな痛手っていうのは無いかなと。

沖縄のクワンソウを使ったサプリメントの開発

井上:そんな感じで人の名前で販売してると、卸値も販売価格も売筋も全て把握できるわけ。

そしたら「いいな、自分のブランド欲しいな」って思い出すんだよね。それで自社製造、販売までをする新しい会社「てんぷす株式会社」がここで出来た。

それで1つ目の商品として、沖縄のよく眠れる野菜「クワンソウ」を使ったサプリメントを製造して販売することにした。

沖縄の植物を使うなら沖縄に会社を作らないといけないなと思って、沖縄に会社を作ると共に沖縄に家族で再移住して来たのが3年前。それでできたのが「琉球の夢」。

伊東:クワンソウに目をつけたのはどうしてですか?

井上:今、世界の人は眠りに対して何らかの不満を持ってるんだよね。4人に1人が眠りに何かしらの不満を持ってると言われていて、これは市場が大きいなと。

とはいえ眠りって表現しにくいし数値化できないのが難しいところ。それにウチの商品は睡魔を誘発するものじゃなくて、眠った後の質を高めるものだし。

でも色んな業者がこの分野に参入して来てるけど、他にクワンソウを使ってるところはまだほとんど無いね。

SNSを活用してリアルの繋がりを強固なものに

伊東:今後考えてることとかってありますか?

井上:今53歳にしてすごい勢いでリアルな友人が増えてる。若い頃は無心に友達ってできて行ったんだけど、大人になるとそう簡単にはできないんだよね。

なぜかっていうと裏側に見るものが出て来るから。「こいつと付き合うとどれくらい儲けられるんだ」って考えたりとか。

でも今この歳になってゼロベースでやってると、友人と呼べる人たちがとんでもない勢いで増えて来てる状況で。こういう人たちとみんなで何か出来たらいいなって思ってるところかな。

伊東:そういう人間関係を広げて行く中で、関わり方に気を使ってることとかはあったりしますか?

井上:53歳で生まれて初めてFacebookっていうのを始めたんだけど、すごい勢いでこの友達が増えて行って。

リアルであって関係性をきづいた人とFacebookでも繋がるようにしてるんだけど、SNSを活用しながらリアルでの友達を作って行くと、より強固な関係性が気づけるんじゃ無いかと思ってる。

伊東:井上さんの世代だとSNSのアカウントも持ってない方も多いと思うんですけど、やっぱり皆さんやったほうがいいと思いますか?

井上:時代的にやらなければいけない。とはいえ、ただの流れ作業にはしない。そこに魂を込めて行くことが大事じゃ無いかなと。

そうやって協力していけばかなり大きなものができると思う。日本の市場ってこれからシュリンクして行くと思うんだけど、企業が増えてる中でそれぞれが生き残るためには協力し合うことだと思ってるから。

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井上さんが手がける快眠サプリ「琉球の夢」

古くから眠り草と言われてきた沖縄の伝統野菜、クワンソウのエキスを使った快眠サプリ「琉球の夢」。こちらからオンラインショップで購入することができます。

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